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千葉すずの現在は?和紙のPR大使に! [スポーツ]

1992年バルセロナオリンピック、1996年アトランタオリンピックに出場した

かつての競泳界のアイドル・千葉すずさんの現在はどうなっているのでしょうか?



千葉すずさんは1992年バルセロナオリンピックでは200m自由形6位入賞、メドレーリレー7位入賞、

400m自由形8位入賞、100m自由形9位。

3年後の1995年アトランタで開催されたパンパシフィック水泳選手権で200m自由形で金メダルを獲得し、

翌1996年アトランタオリンピックの有力優勝候補と期待されていた。

しかしアトランタオリンピック本番では個人決勝種目で決勝レースに進めず、

200m自由形10位、400m自由形13位に終わる。

新種目だった800mフリーリレーでアンカーを務めたが、4位入賞でメダル獲得はならなかった。

さらにメドレーリレーでも予選落ちと、バルセロナオリンピックの成績を下回ったことで、

日本国民の期待を一身に背負っていた千葉すずさんは、

『ニュースステーション』でのインタビューに「オリンピックは楽しむつもりで出た」

「そんなにメダルというなら自分でやればいいじゃないか」

「日本の人はメダル気違いだ」という発言をしてバッシングを受けてしまう…



その後一時競技から離れたが1999年に復帰し、

第76回日本選手権では100m・200m自由形でそれぞれ当時の日本新記録を達成し復活する。

カナダを拠点に練習を積み、翌2000年シドニーオリンピックの競泳日本代表選考を兼ねた第76回日本選手権に出場。

日本水連が代表選考の条件の一つとしていた、国際水泳連盟(FINA)が指定する五輪A標準記録2分0秒54を突破して

200m自由形で優勝したにも関わらず、シドニーオリンピック代表には選出されず、落選となった。

千葉すずさんはこれを不服として、

スポーツ関連問題を一括して取り扱う国際機関「スポーツ仲裁裁判所」(CAS)へ提訴。

千葉の訴えは全面的には認められなかったものの、裁定では日本水泳連盟側にも選考基準の曖昧さがあったことを認め、

訴訟費用の一部負担を言い渡した。結局シドニー五輪には出場を果たすことなく、そのまま現役引退。



2002年、イトマンスイミングスクール時代からの知り合いでカナダ時代の練習仲間、山本貴司と結婚。

(夫の貴司はアテネオリンピックの200mバタフライで銀メダルを獲得した競泳選手。)

2004年11月22日、夫とともに「パートナー・オブ・ザ・イヤー2004」を受賞。

2005年7月、第一子となる長男を出産、2007年2月には第二子となる長女を出産。

その後、さらに二人のお子さんに恵まれていますね。

4人のお子さんのお母さんだそうです!



千葉すずさんの現在がわかるホームページがあるんですね!こちら↓↓

http://suzuchiba0811.wix.com/live

「現役時代に水泳のイベントで行った三隅にある和紙に魅了され、

現在 世界ユネスコ無形文化遺産石州半紙(島根)のPR大使を務める

とありました!

ご自身が和紙を縫って仕上げたウエディングドレスを作ったりと、

すてきなお仕事をされているようです!

…過去にはいろいろあった千葉すずさん。

現在は水泳の教室などのほかに、

ご自分の好きなことを見つけて、輝いている様子が伺えます!

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